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ストレスと今後のこと

怒涛の子宮内膜症始末記
11 /22 2017
 こんにちは 京都盆地の端っこに棲息して数十年の吐夢です。
 暇な私の他愛もない遊びの部屋にようこそ。お越しいただいた奇特なお方、しばしおつきあいください。


怒涛の子宮内膜症始末記⑨
〈ストレスと今後のこと〉
 連続しての投稿、ついに9回目となりました。今回でしばらく子宮内膜症の更新はストップの予定。ってか多分忙しくなるのでブログ自体更新は忘れた頃になるかも。

 さて、私の場合、性交痛だのの痛み自覚がなく、不妊治療に悩まずに済んだので、大騒ぎは大騒ぎだったけれど短期間だったからまだ良かったのかもしれない。子供の欲しい方、長年悩んでいる方は大変なんだろうなと思う。
 のんき者ですら結構なストレスだったもの。子宮内膜症に振り回された私と、振り回されている私の外周で、大きな円軌道で振り回された周囲。いやいや、短期間で心の準備ができなかったからこその悲喜劇でした。

 他人さまは、同情的で申し訳ないくらい気遣って頂いたんだけど、こっちに余裕がないから些細なことでも軋轢ができてしまって。痛みのせいで寝不足でもあったから、冷静に考えたら起こるはずのない悪夢を結構みたりして。あれが私の深層真理だとしたらかなりの人間不信になるので、単なる気の迷いと思いたい。

 肉親はその点容赦がないから、何故気づかなかったのかって責められたねぇ。
 本人責める気はなかったかもしれないし、動揺してたんだろうと思ったけど、こっちも不安だのなんだので、余裕がないからむかっときた。
 私が人間不信かどうかはともかく、少なくとも大人ではあったようで冷静に対応した。・・・つもり。

 半端なくストレスの多い秋だった。術後の痛みや不自由さなんてあのストレスに比べりゃ軽いもんさ。

 病人やけが人がいるって事実は、家族や仲間にとって多かれ少なかれストレスになるとわかっていても、いざ当事者となると思いやりがね~なかなかね~発揮するのは難しいわね~

 手術からそろそろ2カ月。そろそろ日常で困ることもなくなってきた。
 ちなみに術後1カ月で受けた血液検査によると腫瘍マーカーCA125が48に。ふむ、下がったというべきか、まだ標準値ではないのねというべきか。

 さて、今後のことだけど、検診はまじめにうけるとしても、ホルモン治療とかをどうしたもんか。

 実は、子宮内膜症だと言われた日から、サプリメントと漢方薬を飲んでいるだな。
 サプリメントは牡蠣肉エキス。漢方は婦人科系のもの。これは、6月にと友人が飲んでいることが発覚して、なかなかなお値段だったので迷っていたけど、お金なんぞにかまっていられなくなってこれを機に導入した。
 私はハーブだのサプリだのを実体験でいけるなと思うまで紹介をしない主義なので、商標名については、効果があれば数年後にご報告します。

 蛇足ながら、実際、花粉症の体質改善に乳酸菌とハーブティを取り入れてみたんだけど10年たってから周囲に「個人の意見」を発表したもの。乳酸菌はラブレ菌で、ハーブはエキナセア。体質に合ったんだろうねぇ。多少くしゃみは出るけど、マスクだけで花粉の季節を過ごせている。
 漢方も体にあったらいいな~

 では、しばし音信不通になるかもしれませんが、皆々さま、どうぞご自愛ください。
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術後の経過と仕事復帰

怒涛の子宮内膜症始末記
11 /15 2017
 こんにちは 京都盆地の端っこに棲息して数十年の吐夢です。
 暇な私の他愛もない遊びの部屋にようこそ。お越しいただいた奇特なお方、しばしおつきあいください。



怒涛の子宮内膜症始末記⑧
〈術後の経過と仕事復帰〉
 まずは現状報告。退院してかれこれ2カ月。現在、手術痕は、下の小さい2か所がちょっと硬く盛り上がっている。もともと縫ったのではなく、テープ状のもので留めてあったから。臍の部分は2針ほど縫って、まだ赤黒く形も歪んでいるけどそのうち糸がボロッと取れるらしい。体調はほぼ元通りです。

 術後の受診は、退院1週目・1カ月目・今度は3カ月後がめど。
 私の場合とんでもなく痛みがあったわけでなく年齢的に閉経の方が近いから、次の投薬やホルモン治療には進んでない。もう少し様子を見る予定。
 なお、月経は卵巣を触ったせいかおかしくなって、前回から2カ月あいて、その上10日間。これも落ち着くらしい。

 手術直後は、ちょっと発熱して抗生剤のために下痢をして。あとは少々貧血に。
 看護士さんによると、抗生剤で便秘をする人もいるし、じんましんが出たって退院後舞い戻ってきた人もいたらしい。
 痛み自体は想定の範囲かな。いくら持ち主の意志でも、内臓どうしは仲良くやっていたところ、突然の暴挙で仲間が拉致られたわけだから、そりゃまぁ、反乱の一つも起こすがな。手術をしたら元の場所に戻ろうとする傾向にあるらしい。

 何度も書いているけど、私の場合、入院前日まで普通に仕事をして。7日間入院。
 退院翌日に職場にたまってる仕事の確認に出勤したものの、10分程度歩いて通勤しただけで、頭がクラクラした。お昼ご飯を食べたらお腹がつって痛くなったもんだから1時半に早退。本当に確認と挨拶だけで帰ったようなもの。
 連休を使ってその後5日休んで、地道にウォーキング。そして仕事復帰。
 それからは普通に8時間労働したけど、復帰3日目に雨が降ってね。「お腹が痛いので早退します」って小学生のような言葉を残し早退した。

 今も雨の前は痛むな。それ以外はよくわからないタイミングでよくわからない場所が痛む。例えば席を立っただけで摘出していない左側が痛むとか。

 ちょっと話はそれるけど、ガス抜き以外でもウォーキングは手術後の必須事項。癒着防止。足腰の弱体化防止。何より気分転換。一説によると徒歩のスピードで目に入る映像や画像が一番脳を活性化するらしい。

 これまた繰り返しになるけど、入院は原則7日間。5日間でもOK。仕事復帰に関しては、退院2週間までは診断書を書きますってのが、標準スタイル。

 私は入院から14日目に本格復帰したけど、退院した次の日から仕事ができるってかかりつけの内科医さん。いや、センセ、無理やし。
 これは、回復の個人差もさることながら、仕事の内容と通勤環境に左右されること。私のように事務職で徒歩通勤なら、結局は自分の回復次第だけど。営業だの販売で立ったり歩いたりは、退院直後はもちろんのこと1週間目でもきついでしょ。
 おまけに満員電車に乗って誰かの鞄の角がお腹にあたったらと思ったら、怖くて乗れないかも。退院後しばらく「走るな、滑るな、こける(躓く)な」と周囲に言われ続けたし。

 比較的楽なはずの環境でも早退したわけだから、私よりヘビーな方は、しばらく短時間労働に切り替えるとか、時差出勤にするとかで何か手段を講じられるならともかく、3週間休んだらいかがかな?
 職場に理解がないと難しいことは重々承知だし、家にいてもゆっくりできるとは限らないこともわかるけど、仕事は家庭内と違って影響が大きいと思う。私も入院が決まった時は、退院直後に短時間労働で復帰するつもりだったもの。看護士さんに思いっきり否定されて、あきらめて腹をくくったけど。

 一食ぐらいコンビニ弁当を食べなで済む我が家と、一通の書類ができなかった時に想定できるクライアントさんの迷惑とではねぇ。同僚には申し訳ないけど、いっそ出勤してなかったらそれなりにまわっていくみたい。
 今回の入院でしみじみ思ったことで、キャパオーバーはどこまでいってもキャパオーバーだってこと。無理を重ねていても受容量が多くなるわけはないのに、方向違いに努力していたみたい。我慢をしていても我慢をしていると周囲がわからなければ、それが普通なのだと認識されるし。
 世代的なものか性格的ものなのかわからないけど、家庭でも職場でも少しの無理が常態化している。だってちょっとならのんきに無理が出来るもの。根っからののんきではなかったんだねぇ。
 さてそのなまじ元気な自称のんき者が、無理が出来ない事態となると自分だけでなく周囲も巻き込んで大混乱。たかだか2週間休むだけであれだけ大変な思いをするなら、裁判員なんかに選ばれたらどうなるんだろうか。
 メンタル面に関してもいつか書こうとは思うけど、いやいや、作業量の調整は大変。
 日ごろから余裕をもって生きていかねばなりませぬ。
 これを機に無理と我慢は周囲に申告することにしました。そうしたら、それぞれ対応してくれるし。自分のキャパは客観視せねば。

 入院を控えて頭を抱えておられる方、病気の時は、自分にご自愛してもらいましょう?
 では、皆々さま、どうぞご自愛ください。私もご自愛中。

入院準備のあれこれ

怒涛の子宮内膜症始末記
11 /10 2017
 こんにちは 京都盆地の端っこに棲息して数十年の吐夢です。
 暇な私の他愛もない遊びの部屋にようこそ。お越しいただいた奇特なお方、しばしおつきあいください。



怒涛の子宮内膜症始末記⑦
〈入院準備のあれこれ〉

 手術・入院を控えている方へ、入院準備のあれこれを。
 これについてはいろいろな方が書かれていて、私もずいぶん参考にさせて頂いた。でも、やはり個人差ってあるのね。あれ?ってこともあったし。今回はその話。

 まずは、荷物以外の話から。

 病院側とオリエンテーリングすることがあったら、事前にHPで設備を見ておくのは必須としても、それ以外に看護士さんに貸し出し物とか設備とか、疑問を解消できるようにメモを用意しておいた方がいいと思う。

 絶対に伝えておくのは、アレルギー関連。
 食物や薬については麻酔科からも尋ねられるけど、実際にお世話になるのは看護士さんだからね。お願しておきましょう。
 食物のアレルギーは多種多様なので、できるだけ伝えた方がいい。私の場合は、山芋とカシューナッツにアレルギーがある。山芋は栄養価が高いのでよく出される食材。カシューナッツはたしかウルシ系のアレルギー。卵にソバや小麦粉、甲殻類なんて伝えておかないと大変なことになる。

 それと接触性の皮膚炎。アルコール綿は必須で尋ねてもらえても、フィルムやテープ類は案外尋ねられない。手術編で書いておいたけど、私はテープに使ってある接着剤のアレルギー。ただ、必ず出るとは限らない。点滴のチューブを腕に固定しないわけにはいかないから貼ってもらったけど、案の定、かぶれました。それもテープでなく点滴のチューブが当たっていた部分が。ネット包帯が輪をかけたので、クリップで服に留めつけたらなかなかいい感じになったかな。保冷剤で冷やすのも効果的。
 アレルギーの対象になっている物から、他にアレルギーを起こすかもしれないものを類推できることもあるらしいので、がんばってお伝えしましょ。

 医師と看護師では立ち位置が違うから、情報範囲も違う。一週間お泊りするところなのでいろいろと聞いてみたらいかがかな。特に体質の似た近親者の手術体験は伝えておくと参考になるみたい。そういや、手術の前には下痢気味の方が楽よって教わったのも看護士さんからだった。

 それでは持ち物を。
 以下は、病院側から指定された分。

 保険証、同意書や保証人届等の書類、認印、洗面用具とシャンプー等、タオル2~3枚、バスタオル1~2枚、下着、コップ、お茶を入れるもの、スリッパ、パジャマ、ナプキン。
 ライトセットと弾性ストッキングは病院からの指定品(ライトセットって以前に書いたけど、不織布でできたおむつカバー状のもの。それにナプキンをセットして術後に装着する。昔は丁字帯を使ったとか。弾性ストッキングは、血栓症予防用でメデ〇キュッ〇みたいなもの。ハイソックス状の靴下)

 これだけ?って聞いたら、子宮内膜症の腹腔鏡手術って、術後2日目あたりからすごく楽になるから洗濯する人が多いですよって。確かにかさばるのはタオルに衣類だから荷物が少なくて済むし。私は入院中2回洗濯した。
 に、してもさ。後は常識で持ってきてくださいってことなんだろうけど、少なすぎる提示よねぇ。

 私は、旅行の荷物をコンパクトにしたい派なので、途中で家族に持って帰ってもらわず退院したから私自身の持ち物はかなり少なめだと思う。具体的には2泊用のキャリーと大きめのバケツトートで。
 これも捉え方次第だけど、事情が許すなら、家族に毎日通ってもらうのもいいと思う。で、荷物も運搬をしてもらうのもコミュニケーション。ただ、持って帰ってもらうのはともかく、持ってきてもらうのはどうだろ? よほどわかり易い所に置いておかないとストレスの原因になるかも。

 入院時に持っていった物一覧は以下の通り。
 病院指定と重なるけど必須には◎、全く使わなかったものには×を、たまたま使わなかったものには△を、おすすめには☆をつけてみた。どちらでもいいものには〇。
 それと重複するけど、術後必要でわかり易い所に置いておかなくてはいけないものは、大きな文字で。
 生活パターンによって個人差があると思うので数はあえて省略。私は使わなかったけど、すごく役に立ちましたよって書かれていた方もいたから、もし迷ったら、普段の生活にあって当然のものはストレス回避に持っていきましょ。

◎保険証と診察券
◎お金⇒暑い季節はペットボトルを買う用のコインがあると便利かも

バスタオルとタオル
パジャマ⇒今回しみじみ思ったのは、お高いお品はやはりお高いだけの品質だと。縫い目だけでも痛い時はつらい。ゆったり目で、程よく洗濯崩れした、国産、縫製丁寧なパジャマがいい
◎パーカー⇒カーディガンやストールでもいいけど、袖ぐりがゆったりしている上に厚手だったので楽だった
〇Tシャツとジャージ⇒なんだか一日同じ服って抵抗があって、着替えてたんだな
下着⇒縫い目が痛いからすっぽりおへそ付近までかくれるタイプがいいとブログにあったので新しく買ったんだけど、私は普通のでも大丈夫だったかも。パジャマはダメでパンツは大丈夫ってどういうことだろうね
△ブラ付きキャミソール⇒初日は着たけど、結局、昼間はTシャツの上にパーカーを羽織る毎日で。人目が気にならない人はいいんじゃないかしら
◎帰りに着る服⇒まだまだ腹部が腫れているので、おすすめはワンピースやチュニック。ボトムはゆったりしたもので。ジーパンみたいに金具が腹部にあたるものは痛いので回避

◎シャンプー、コンディショナー、石鹸、ヘアブラシ⇒ボディソープとハンドソープを持っていくのが面倒くさかったので、誰かのお土産の小さい石鹸をシンク用のネットに入れて、紐でくくって、お風呂と病室の洗面台とを往復した
☆100均のランドリーバッグ⇒A4くらいのスパバック・洗濯ネット兼用。お風呂に通ったり、洗濯機に入ったり。大活躍
〇洗剤⇒施設によるので確認してね
歯磨きセット(コップ付き)
◎基礎化粧品セットとリップクリーム、ハンドクリーム⇒アユーラの試供品とハトムギ化粧水をコットンに含ませて小さなジップ付き袋に入れて持ってった
☆汗ふきシート⇒夜間発熱した時に使うといい感じ

〇紙コップ/割り箸/スプーン
水のペットボトル⇒前回登場。術後翌日の朝食。病院指定ではなかったんだけど、もしなかったらどうなってたのかしら
△サーモスの水筒⇒暑かったから、ペットボトルが大活躍
◎蓋付きタンブラー
ストロー
☆飴⇒挿管の後は喉が痛い
☆ふりかけと小さいラップ⇒一度に食べるとお腹が張って痛いので、おにぎりにして後から食べていた

☆ドライヤー⇒貸し出し可能ではあったけど、普段使いのナノイーをあえて持参
☆コロコロ(ミニサイズ)

◎△ナプキンナイト用とデイリー用) △セスキ炭酸ソーダの小瓶⇒手術後に出血する人が多いらしいんだけど、私は全く出血しなかったのでほぼお持ち帰り。セスキも下着の洗濯に良いかと思ってたんだけどね
×ウエットティッシュ⇒箱ティッシュで事足りた
箱ティッシュ⇒エス字フックでひっかけるためにカバー付き

◎スリッパ
〇目覚まし時計⇒腕時計やスマホで十分な人は不要
電話と充電器
☆なんでもいいけど暇つぶしグッズは必要!
☆髪の毛を止めるクリップ⇒これで点滴のチューブを留めることになる
☆エス字フック⇒何かとひっかけるのに便利。ただし、ベットまわりにひっかけるのが禁止の病院もあるので注意。
☆ハンガー⇒タオルとかを干すのに備え付けでは足りないかも

〇メモとペンと文房具⇒私、事務職なもんで。普段使っているものがないとなんともね
△認印⇒病院指定だったんだけどいらなかった

 長々と列挙しました。お役にたてたらいいな~
 では、皆々さま、どうぞご自愛ください。

入院のあれこれ

怒涛の子宮内膜症始末記
11 /06 2017
 こんにちは 京都盆地の端っこに棲息して数十年の吐夢です。
 暇な私の他愛もない遊びの部屋にようこそ。お越しいただいた奇特なお方、しばしおつきあいください。


怒涛の子宮内膜症始末記⑥
〈入院のあれこれ〉

 前回が手術だったので、今回はその流れで入院のあれこれを。

 まずは、病院の選び方。
 これはなんともねぇ。余裕のある方は、病院の評判や執刀医の症例数を調べて、かつ、お目にかかって判断すべき。私の場合は余裕もなく、たまたま紹介して下さった先生が3,000症例を越すベテランで腹腔鏡の専門医だったから参考にならないかも。
 病院も家族が通いやすいところでないと。もっと言うなら、子宮内膜症は慢性疾患なので今後も病院とお付き合いが必要。自分自身も通いやすいところでないと厳しい。

 病院のハコから考えると、大きな総合病院にするか専門病院にするか。京都市の場合、京大病院、府立医科大病院、日赤、医療センター等々がある。レディースクリニック系も大きいところがあって。
 どちらがいいかはその人次第。お産でもその人の価値観で違うでしょ。確かに総合病院だともしものときに搬送にならないから手術的には安心かも。ただね、通院は大変。予約入れても2時間待ちとかあるもんね。患者が多いと手術日程をおさえるのも大変だし。
 私の場合は、婦人科の専門病院でした。いざとなったら京大行きだったらしい。
 でもさ、これって縁だろうなって思ったわけ。家族なんかあまりの展開にセカンドオピニオンはいらないのか?なんて言っていたけど、病院を見て執刀医にお目にかかって、これで万一があっても運が悪かったと諦めようと。のんきな私なりに、入院前に最低のことは書き遺しておいたし。

 入院期間について。
 腹腔鏡手術の場合、基本は7日間。ただ、5日で退院しても可能。私は7日間にしたけど。
 実際のところ、腹筋で起き上れるようになったのが入院5日目くらいだったから。退院しても、シンクにお腹が触れただけで痛かったよ。こればかりは年齢と体力で全く回復が違うだろうけど、そこそこの年齢の方は骨休みだと思ってゆっくりしたらいかが?
 海外では日帰りとかあるらしい。内視鏡って手術ではなく検査のカテゴリーらしいから。そういえばお産も早く退院だもんね。日本人にはなかなか難しいと思うな。生活様式も違うし、体型も違うし。話は変わるけど、40代以上でチョコレート嚢胞がガン化するのってアジア人特有とかって書いてあったサイトがあったな。これについては、裏どりしていないので噂程度でよろしく。

 次は病室ですが。
 私は当初から個室希望。ただトイレとシャワーは共同タイプになった。本当は部屋についているほうがよかったんだけど、ICU管理ではないところだったので、手術前後は病院指定の個室だったの。たかだか一週間の入院で移動するがめんどうくさかったのでそのまま指定の個室に居座った。
 医療保険等に入っていない人は、まんま入院費が負担になるから、かならずしも個室でなくてもいいんじゃないかとは思う。ただ、婦人科専門病棟ならまだしも、産科と混在なら眠れないかも。お産は時間を選ばないし、耳栓効果もさだかではないし。何らかの保険給付が見込めるなら個室一択かな。

 お金の話が出たので入院費のお話を。
 一般的には20万円前後って言われている。参考までに私はごく平均的庶民的中年職業婦人なわけだけど、15万円足らずでした。
 これはちょっと個人差があるんだよね。

 まず、そもそも個室を使うか使わないか。個室料金って一般的には私の知る限り3,000円~20,000円。まぁ上限はないと思っていいけど。これが治療費に上乗せ。ちなみに私はお安くて6,000円。

 次に高額療養費がどう該当するか。これには三つアプローチがあって。
 一つ目。高額療養費っていうのは、保険適用医療費(保険外診療分はNG)には、上限があって一定額以上は負担が減免されることなわけだけど、そもそもは一旦払って後日還付されるタイプだけだった。今は限度額申請っていって、窓口支払い時に相殺されるタイプが主流。とはいえそのためには支払いまでに限度額申請書を病院に提示しなくてはいけないので、急な入院とかでは間に合わない場合もある。
 入院日程が決まったら通常は病院側で案内してくれる。私もそのタイプ。上記の支払額は、高額療養費が適用されて相殺されているってこと。
 二つ目。上限額の対象の考え方なんだけど。一カ月単位だということ。そして病院のレセプトも一カ月単位なので、同月内に入退院すると効果的に高額療養費制度が使える。私の場合、月末入院月初退院だったから残念なタイプ。
 三つ目。そもそも負担額の上限は、所得、何回目、家族等々の条件で違ってくるんだよね。主な決定条件は所得かなぁ。なので、同一人物でも時々によってかわってくるんだな。

 いずれにせよ部屋を決めたら病院側で概算を教えてくれるはず。
 病室に現金やクレジットカードをおいておくのも、家族に持ってきてもらうのも嫌だった私は、入院時に15万円を会計に預けるシステムを取った。たださ、これをしてなお、入院費の保証人が必要っておかしな話だと思う。ほとんどの医療機関で保証人が必要で、このあいだ問題提議されていたね。

 ついでなのでもう少しお金の話を。

 まずは、医療保険等々の請求。これは余裕があるなら入院前に書類を取り寄せておいた方が便利。退院時に診断書を頼んでおくと、検診の時に貰えるから。診断書は大きな病院だと出来るのが一か月後なんて場合もあるし。
 それと複数の保険会社から請求する場合は、診断書のコピー使用が可能な場合があるので、書類請求時に尋ねてみてね。

 物凄くざっくりした言い方になるけど、最終的に払った医療費から高額療養費(あとから戻るタイプ)と入院給付金とかを引いて残りが一定額以上あれば医療費控除で確定申告へGO!
 この一定額だけど、一般的には10万円。私の場合、多分、支払額は年間で20万円くらい。ってことは、20万円(高額療養費は限度額が効いているからね)-15万円(入院給付金)-10万円=△5万円ってこととで、医療費控除はできません。もし26万円の支払いになったとしても26万円-15万円-10万円=1万円。これの税率分だから国と府市と合計20%としても2,000円か・・・。地方税は納付金額が下がるので、直接還付されるのは1,000円程度? あ~税率が5%ならもっと低いかぁ。微妙な~
 ただ、ややこしいので計算しなかったけど、もし、入院給付金が入院費を上回ってもマイナスする限度は入院費の額までだから。私の場合、入院費用が15万弱で保険給付が15万円超だったので、上記計算ではざっくり15万円をマイナスしているけど、正確には全部の医療費の支払いから入院時の領収証分除いてそこから10万円を引けばいいってこと。

 いずれにせよ、医療費控除って払った医療費が戻ってくるわけではなく税率分だから。元気なのが一番ってことですね。
 今回はここまで。次回は入院に必要な物なんかを。

 では、皆々さま、どうぞご自愛ください。

手術前後の3日間編その2

怒涛の子宮内膜症始末記
11 /02 2017
 こんにちは 京都盆地の端っこに棲息して数十年の吐夢です。
 暇な私の他愛もない遊びの部屋にようこそ。お越しいただいた奇特なお方、しばしおつきあいください。



怒涛の子宮内膜症始末記⑤
〈手術前後の3日間編その2〉

前回の続き、麻酔が覚めたところから。

16:00(らしい)
病室で、看護士に名前を呼ばれて覚醒。状況を尋ねられる。「チョー眠い」「凄い尿意がぁ」(本人発言のママ)
脱水症状にならないように電解質をガンガン点滴されているのに、膀胱に挿入された管が浅かったらしい。グリグリと押し込められる。結構痛い。でもお陰で尿意は解消。

この時点で右手に点滴(当日中にあと電解質4本と抗生剤1本)。左指に血圧等のモニター。弾性ソックスの上からエアーマッサージャー。ライトセット(多分そんな名前)の横から出てる膀胱に通った管。上からは電気毛布。貼り付けられてる感じ。
ICU管理ではないので、頻繁に看護士による体調チェック。
挿管していたので喉がかなり痛いが、腹部に関してはまだそれほど痛みを感じない。電気毛布でわかるように手術台で冷えているのと発熱のせいで結構寒い。

16:30(多分)
付添いの人々には帰宅してもらう。意識はわりとはっきりしている。

18:00
寝返りの許可。この時点でかなりお尻がしびれている。完全覚醒。寝返りはガス抜きというより体の痛み緩和のためらしい。電気毛布は外してもらう。

痛いのはともかく、寝返りが打ちづらい。何せいろいろ線でつながれている上に、マッサージャー同士の面ファスナーがひっつくので動きづらいことこの上なし。
腹部が全体的に(内も外も)痛い。退院後に気づいたけど、もしかしてヨードアレルギーで手術時の消毒液にまけたとか? まさかの剃刀まけか?
ともかく、個室な上にシーツの下で見えないのをいいことに、浴衣in旅館な寝相で、ほぼパンイチでテレビを見つつ、うなりながら寝返り。さすがに本までは手が出ない。

20:00
これくらいから看護士による容体チェックも少し間隔があく。
点滴のおかげで脱水症状にはならないけど、喉は乾くし痛いし。そして暑い! 38度を越していることは間違いなさそう。

24:00
最後の抗生剤の点滴終了。ナプキン交換。モニターが外される。一つ紐付きでなくなる。
とはいうものの、眠れるわけもなく。面ファスナーに悪態をつきながらようやく2時頃就寝。

手術翌日
6:00
汗べとべと状態で覚醒。痛いというより不自由な状態。

7:00
看護士来室。体温測定(36.5度)、採血。
ベッドで体を起こすことが可能に。洗顔用のおしぼり、歯磨きをセットしてもらう。エアーマッサージャーがとれる。冷蔵庫のペットボトルの水にストローを添えたものが朝食。電動リクライニングって素晴らしい。さすがに腹筋では起きられない。

10:00
看護士来室。抗生剤点滴。温かいタオルで背中を拭いてもらう。自分でできるところは自分で。この時点で、試しに、点滴スタンドを引っ張りながら歩いてみて大丈夫そうなら膀胱の管を抜いてもいいそうなので、実験。案外元気なことが判明。即、抜いてもらう。パジャマに着替え。これ以降、スタンド付きでトイレに通うことに。
同僚・友人に無事手術が終わったことのお礼のメール等を入れる。

10:00~
主治医来室。手術の説明。写真は後日見せてもらえるらしい。
看護士来室。体調チェック。
排ガスはまだでも水分なら問題ないので、麦茶でのどを潤す。まだ挿管の影響下。

蛇足ながら・・・手術時に腹筋を釣り上げるために入れた炭酸ガスだけど、尾籠な話ながらげっぷかおならで体外に出すか、体に吸収されるかを待つらしい。なので、頑張って体を動かして排ガスを促すわけ。
結構、お腹が張って苦しいのか続く。結局、退院の時でもまだ張ってたなぁ。

12:00
昼食。三分粥と梅干し、卵焼き、味噌汁
食べてる途中でダウン。ゆっくり食べてたんだけど、胃下垂のせいか非常に苦しい。寝てたら大丈夫なんだけど。
ヨーグルトと牛乳はおやつに。
食後はブレイブストーリー中巻読書再開。歩行訓練代わりにトイレに通う。排ガスあり。

16:00
抗生剤2本目点滴。37度くらいに上がってくる。

18:00
夕食。全粥、梅干し、小芋の煮物、煮魚、卵豆腐、ジュース。なかなか完食とはいかない。
38度。ロキソニン服用。保冷材を使って体を冷やす(気休め程度とのこと)。点滴を止めているテープの部分にかゆみ発生。

どうにかこうにか22時就寝。

以上、手術前後3日間の後半でした。
人生で初の手術だったんで、なるべく詳細にメモを取ってブログに載せる!って頑張ったつもりが、そうは問屋が卸さないねぇ。
ちなみにブレイブストーリー中巻はこの日に読了。手術の痛みうんぬんより、とっぷり物語にはまってしまって主人公の父親に腹を立てたり、仲間の優しさに感動したりですっかり宮部みゆき氏にのせられて・・・いやはや。

手術を控えておられる方も、終えた方も、いつかはと思っている方も、風邪の季節です。どうぞご自愛ください。

吐夢(トム)

吐夢
京都盆地の端っこ棲息数十年
のんきにまったり暮らしています